小樽運河はなぜ残ったか。倉庫と銀行の街の跡
埋め立てられる計画がありました。経緯と見どころです。

- かつては港湾の荷揚げのための施設
- 埋め立て計画に反対運動が起き、一部が残った
- 倉庫群と銀行の建物が街に残る
小樽運河は観光のために作られたものではありません。港湾施設として作られ、不要になった後に残されたものです。
何のために作られたか
大正から昭和初期にかけて造られました。
- 海を埋め立てて陸地と平行な水路を作った
- 沖の船からはしけ(小型の船)で荷を運ぶ
- 運河から倉庫へ直接荷揚げする
- 港が浅く、大型船が接岸できなかったため
つまり、荷物を運ぶための水路です。川ではなく、埋め立てて作った人工のものです。
小樽が栄えた理由
当時の小樽は、北海道でもっとも重要な港でした。
- 石炭の積み出し港
- ニシン漁の拠点
- 北海道の物流の中心
- 本州とサハリンを結ぶ航路
- 銀行と商社が集まった
「北のウォール街」と呼ばれるほど金融機関が集まりました。その建物が今も残っています。
なぜ衰退したか
- 港湾の技術が進み、大型船が直接接岸できるようになった
- はしけによる荷揚げが不要になった
- 石炭の需要が減った
- ニシンが獲れなくなった
- 物流の中心が苫小牧と札幌へ移った
運河は役目を終えました。使われなくなり、荒れた状態になりました。
埋め立て計画と反対運動
1960年代から70年代の話です。
- 運河を埋めて道路を通す計画が立てられた
- 使われていない施設であり、衛生の問題もあった
- 一方で、保存を求める運動が起きた
- 10年以上にわたる議論になった
- 結果、一部を埋めて道路を作り、残りを保存することになった
つまり、今の運河はもとの幅より狭くなっています。片側が埋め立てられ、散策路と道路になりました。
北側(北運河)には、埋め立てられていない区間が残っています。
北運河を歩く
観光客が集まるのは浅草橋から中央橋のあたりです。
その北側に、北運河と呼ばれる区間があります。
- もとの幅が残っている
- 観光客が少ない
- 倉庫が残る
- 小型の船が係留されている
- 静か
観光地としての整備は控えめですが、かつての姿に近いのはこちらです。
倉庫群
運河沿いに石造りとれんが造りの倉庫が並んでいます。
- 明治から大正期のもの
- 木骨石造 — 木の骨組みに石を積む工法
- 改装して店になっている建物がある
- 使われていない建物もある
軟石(札幌軟石など)を使った建物が多くあります。この地域で採れる石です。
銀行の建物
運河から少し内陸に、旧銀行の建物が集まっています。
- 石造りと鉄筋コンクリートの重厚な建物
- 一部は美術館や店として公開されている
- 通り沿いに並んでいる
- 入れる建物がある
この通りが「北のウォール街」と呼ばれた区域です。運河より建築として見るものがあります。
観光客は堺町通りに集まるので、こちらは比較的空いています。
見る時間
| 時間 | 様子 |
|---|---|
| 朝(7〜9時) | 空いている。写真が撮りやすい |
| 日中 | 混む。団体バスが入る |
| 日没前後 | ガス灯が点く。空に青が残る |
| 夜 | 灯りの印象が強い |
日没の30分前後がもっとも撮りやすい時間です。
冬は16時には暗くなるので、夕食の前に見られます。
クルーズ
運河を船で回る便があります。
- 所要40分前後
- 昼と夜の便
- 北運河まで行く
- 解説が付く
- 冬も運航する期間がある
水面から見ると、倉庫の高さと運河の幅が実感できます。歩くのとは印象が違います。
石畳の注意
散策路は石畳です。
- 雨の日は滑る
- 冬は凍る
- 写真を撮る人が立ち止まるので磨かれる
- 歩きやすい靴が必要
冬の運河沿いは滑りやすい場所です。冬靴か後付けスパイクを用意してください。
見方の提案
運河だけを見て帰る人が多いですが、街として見ると読めるものが増えます。
- 運河で荷揚げの仕組みを想像する
- 倉庫の建物を見る
- 旧銀行の通りを歩く
- 北運河でもとの幅を見る
- 坂を上がって街の構造を見る
小樽は港から山へ坂が続く地形です。港で荷を扱い、その上に街ができたという構造が分かります。